鮫城健児の精神は堅実し/こうじょうけんじのこころはかたし

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校章の変遷

校章3 校章2 校章1

 開校当初の校章は、図案作成の時間的余裕がなかったことから、市内の小学校が用いていた「三種の神器」を組み合わせたもので 、中央に「商工」と文字を置き換えた。
 その後当時の佐野教頭が、六角形の輪郭を小刻みにし、その中心に商工のいずれにも通用する「業」を入れたデザインを考案した。
 さらに後年、校舎の新築移転、甲種昇格があり校風が一新されたのを機に校章を改変することになり、全校職員・生徒に公募し て最終的に佐野教頭が修正作成した。三角形のガミ違いの中に「業」の文字を入れたもので、現在の校章の原形となった。
 現在の校章は、幾度か帽章を作っている間に製作所でのデザイン間違いがあり、そのデザインが良かったのでそのまま修正されることなく 使用されるようになった。
 新制高校になって、中心の「業」の文字を代えて「商」を入れたデザインとなった。デザインは工業高校城倉可成教諭の考案である。
                                参照:平成9年版同窓会名簿


校  歌

作 詞:小 川   保
作 曲:梁 田   貞
校 閲:山 田 孝 雄
校歌1〜4背景:創立〜/上教大混声合唱団

左クリック/「創立〜南城校舎」編

>クリック:校歌1・4番
(背景画像なし、字幕あり)

画 面 操 作 説 明
(推奨:ピクチャーインピクチャー再生)

【一】アルプス連峰(れんぽう) (そびら)()ひて
   (こし)国原(くにはら) (ゆた)かにつヾく
   (ゆき)(みやこ)に 至純(しじゅん)(ほこ)
   鮫城健児(かうじょうけんじ)の 精神(こころ)堅実(かた)
   荒海(あらうみ)佐渡(さど)にぞ (よこ)たふ銀河(ぎんが)
   (あふ)げば(かがや)く 吾等(われら)前途(ゆくて)
【二】(むらさき)かげろふ 春日(かすが)(やま)
   ()ゆる八千草(やちぐさ) (いなな)駿馬(しゅんめ)
   (わか)城主(じょうしゅ)の 高鳴(たかな)血潮(ちしお)
   橡尾(とちお)勝鬨(かちどき) ()()(なび)
   千曲(ちくま)(ながれ)に 威名(いめい)(つた)
   霜臺公(そうたいこう)こそ 吾等(われら)亀鑑(かがみ)
【三】黎明隆笳(れいめいりゅうか)は (ちまた)にひびき
   啓示(けいじ)(ひかり)も (かげ)いときよく
   不撓(ふとう)大旆(たいはい) 久遠(くおん)理想(りそう)
   剛健素朴(ごうけんそぼく)の 楯振(たてふ)(かざ)
   建設(たて)なん 東洋商業日本(とうようしょうぎょうにほん)
   祖国(そこく)(いしずえ) 吾等(われら)使命(つとめ)
【四】六華(りくくわ)(かたど)る 高潔(けだか)校章(しるし)
  「(わざ)」の一文字(ひともじ) 不断(ふだん)練磨(れんま)
   大瀛空撃(だいえいそらう)つ (なみ)すさぶとも
   繚乱吹雪(りょうらんふぶき)の (かぜ)しまくとも
   建設(たて)なん 東洋商業日本(とうようしょうぎょうにほん)
   図南(となん)(つばさ)ぞ 吾等(われら)抱負(のぞみ)
南城校舎/昭和5年当時

南城校舎/昭和5年当時

  ◆ 校歌について ◆

 現在歌われている校歌は、昭和月に制定されたものである。作詞者の小川保氏は千葉県出身で、昭和年から年間本校国語科教諭として在職した。
 校閲は山田孝雄博士で、山田氏は日大高師時代の小川氏の師で、著名な国語学者である。
 作曲は梁田貞氏である。梁田氏は千葉県出身で東京音楽学校(現東京芸術大学)のオルガンの主任教授であったが、「城ヶ島の雨」「どんぐりころころ」の 作曲としても知られる著名な作曲家でもあった。
 梁田氏への作曲依頼は南里英治教諭が行ったが、南里教諭は本校の野球部長であり、また音楽愛好家でもあった。
 校歌が初めて公式行事で歌われたのは、昭和月の卒業式であった。以来今日まで歌い継がれている。
 戦後、工業の分離や時代の変遷によって、現在歌われている歌詞は若干修正されたものである。
・出典=平成年版同窓会名簿
・商工校歌(旧校歌)は >こちら

第一応援歌

作 詞:作 者 不 詳
作 曲:赤 木 顕 次
編 曲:作 者 不 詳

>クリック:第一応援歌(独唱・伴奏)


【一】今宵(こよい)にこぼれて またゝく(ほし)
   久遠(くおん)(かがや)く 練磨(れんま)(ひかり)
   (たまし)鞭打(むちう)つ 努力(どりょく)(さけ)
   こまくを(やぶ)りて (たか)らに(ひび)
   正義(せいぎ)大道(だいどう) 雄々(おお)しくたどり
   (のこ)さん校章(しるし)も いと(あざや)かに
【二】荒川(あらかわ)(なが)れ 荒海(あらうみ)()
   (さめ)城下(じょうか)の (みどり)(おか)
   正義(せいぎ)(した)いて 雄々(おお)しく()ちし
   商業健児(しょうぎょうけんじ)の 意気(いき)をや()よや
   自由(じゆう)(かね)() (ひび)きて()けば
   その夢破(ゆめやぶ)らん ところやあらん

>クリック:第一応援歌1〜4番


>クリック:第一応援歌(独唱・伴奏)


【一】今宵(こよい)にこぼれて (またた)(ほし)
   久遠(くおん)(かがや)く 練磨(れんま)(ひかり)
   (たまし)鞭打(むちう)つ 努力(どりょく)(さけ)
   皷膜(こまく)(やぶ)りて (たか)らに(ひび)
   正義(せいぎ)大道(だいどう) 雄々(おお)しくたどり
   (のこ)さん(しるし)も いと(あざ)やかに
【二】我等(われら)母校(ぼこう)の ()西北(せいほく)
   朝夕聳(あさゆうそび)ゆる 春日(かすが)(やま)
   ()()(たか)き 霜台公(そうだいこう)
   威名(いめい)(のこ)りて (かほり)(きよ)
   これこそ我等(われら)が 日頃(ひごろ)龜鑑(きかん)
   いざゝゝ(しめ)さん 武勇(ぶゆう)(ほこ)
【三】斜陽(しゃよう)()ること (りょくじゅ)(てら)
   (あか)(ひかり)は ()滿()ちあふれ
   (てん)(そび)ゆる (にしき)(みね)
   覇業(はぎょう)をかざらん (とき)こそ(いま)
   駿馬(しゅんめ)打乗(うちの)り ()(むち)あてゝ
   砂塵(さじん)をけちらす 雄々(おお)しの姿(すがた)
【四】荒川(あらかわ)(なが)れ 荒海(あらうみ)()
   (さめ)城下(じょうか)の (みどり)(おか)
   正義(せいぎ)をしたひて 雄々(おお)しく()ちし
   義憤(ぎふん)健兒(けんじ)の 意氣(いき)をば()よや
   義勇(ぎゆう)(かね)() (ひびき)()けば
   甘夢破(そのゆめやぶ)らん (ところ)やあらん

商工生徒/第一応援歌

高田商工学校応援部

 ◆第一応援歌について◆

 第一応援歌の作詞・作曲に関する明確な記録が残されていない。昭和年の校歌作成以前には存在し、体育祭や対外試合等で盛んに歌われていたようである。 校歌作詞者の小川保氏(本校国語教師)が創立40周年記念誌によせた寄稿文「校歌の思い出」に参考となる記述がある。
 【昭和年の秋、私が赴任した頃は、まだ校歌が制定されては居なかった。たゞ、「今宵にこぼれてまたたく星は」という女学生向きな歌詞の応援歌が、 北大の寮歌として知られている「豊かにみのれる石狩の野に」の曲を借用して、盛んに歌われていたようである。】
 このことから、北海道大学恵迪寮々歌[都ぞ弥生](明治45年)の曲に文学好きの生徒が詩をつけて第一応援歌が作成されたと思われる。
 なお、第一応援歌作成当時の教職員の中に北大関係者がいて、寮歌「都ぞ弥生」の旋律借用についての仲介がなされた旨の伝承がある。
・商工第一應援歌は >こちら
・第一応援歌余話は >こちら

第二応援歌

作 詞:涌 井 俊 一
作 曲:丸 田 昭 三

>クリック:第二応援歌(独唱・伴奏)


【一】荒波(あらなみ)さかまく 日本海(にほんかい)
   (とどろ)怒涛(どとう) (ひく)くみて
   (こし)平野(へいや)に 秀麗(しゅうれい)
   (ほこ)りて()てる 妙高山(みょうこうさん)
   その気高(けだか)さを (あお)ぎみて
   日頃鍛(ひごろきた)えし この(うで)
   (いま)ぞこゝに あらわさん
【二】(むかし)(しの)ぶ 城跡(しろあと)
   (はる)らんまんの 桜花(さくらばな)
   その花吹雪(はなふぶき) ()()いて
   ()()覇気(はき)の 若人(わこうど)
   闘志(とうし)()えて こぞり()
   (きた)えあげたる (てつ)(うで)
   (いま)ぞこゝに あらわさん

応援合戦/体育祭

応援合戦/体育祭

 ◆第二応援歌について◆

 昭和30(1955)年、高商創立40周年を迎えるに当たり、校歌・応援歌(第一)に続く第二応援歌を作成する機運が生じた。
 第二応援歌作成にあたり、近隣他校の事例なども参考にしながら作詞・作曲について種々の検討がなされた。そしてまず応援歌々詞について、専門家に依頼するのではなく 全校生徒対象に公募の形で第二応援歌々詞の募集が行われた。
 短い募集期間ではあったが生徒から複数の応募作品が寄せられ、その中から当時年生(D組/高田市本町)の涌井俊一君の作品が選ばれた。
 また、曲については彼の担任が、自身の友人である丸田昭三氏(音楽家・音楽理論家/東京芸大出身)に作曲を依頼した。
 格調高い詩にふさわしく、勇壮な曲調のうちにも歌いやすく流麗な旋律の曲が生まれた。
 今日まで校歌・第一応援歌と共に、体育祭・対外試合等に歌い継がれている。
・第二応援歌余話は >こちら