校 歌
作 詞:小 川 保
作 曲:梁 田 貞
校 閲:山 田 孝 雄
【一】アルプス連峰 背に負ひて
越の国原 豊かにつヾく
雪の都に 至純を誇る
鮫城健児の 精神は堅実し
荒海佐渡にぞ 横たふ銀河
仰げば燦く 吾等が前途
【二】紫かげろふ 春日の山に
萌ゆる八千草 嘶く駿馬
若き城主の 高鳴る血潮
橡尾の勝鬨 先づ世を靡け
千曲の流に 威名を伝ふ
霜臺公こそ 吾等が亀鑑
【三】黎明隆笳は 衢にひびき
啓示の光も 影いときよく
不撓の大旆 久遠の理想
剛健素朴の 楯振り翳し
建設なん 東洋商業日本
祖国の礎 吾等が使命
【四】六華を象る 高潔き校章
「業」の一文字 不断の練磨
大瀛空撃つ 濤すさぶとも
繚乱吹雪の 風しまくとも
建設なん 東洋商業日本
図南の翼ぞ 吾等が抱負
南城校舎/昭和5年当時
◆ 校歌について ◆
現在歌われている校歌は、昭和
4年
4月に制定されたものである。作詞者の小川保氏は千葉県出身で、昭和
3年から
7年間本校国語科教諭として在職した。
校閲は山田孝雄博士で、山田氏は日大高師時代の小川氏の師で、著名な国語学者である。
作曲は梁田貞氏である。梁田氏は千葉県出身で東京音楽学校(現東京芸術大学)のオルガンの主任教授であったが、「城ヶ島の雨」「どんぐりころころ」の
作曲としても知られる著名な作曲家でもあった。
梁田氏への作曲依頼は南里英治教諭が行ったが、南里教諭は本校の野球部長であり、また音楽愛好家でもあった。
校歌が初めて公式行事で歌われたのは、昭和
5年
3月の卒業式であった。以来今日まで歌い継がれている。
戦後、工業の分離や時代の変遷によって、現在歌われている歌詞は若干修正されたものである。
・出典=平成
9年版同窓会名簿
・商工校歌(旧校歌)は >
こちら
第一応援歌
作 詞:作 者 不 詳
作 曲:赤 木 顕 次
編 曲:作 者 不 詳
>クリック:第一応援歌(独唱・伴奏)
【一】今宵にこぼれて またゝく星は
久遠に輝く 練磨の光
魂に鞭打つ 努力の叫び
こまくを破りて 高らに響く
正義の大道 雄々しくたどり
残さん校章も いと鮮かに
【二】荒川の流れ 荒海に落ち
鮫ヵ城下の 緑の丘に
正義を慕いて 雄々しく立ちし
商業健児の 意気をや見よや
自由の鐘の音 響きて行けば
その夢破らん ところやあらん
>クリック:第一応援歌1〜4番
>クリック:第一応援歌(独唱・伴奏)
【一】今宵にこぼれて 瞬く星は
久遠に輝く 練磨の光
魂に鞭打つ 努力の叫び
皷膜を破りて 高らに響く
正義の大道 雄々しくたどり
殘さん章も いと鮮やかに
【二】我等が母校の 其の西北に
朝夕聳ゆる 春日の山は
其の名も高き 霜台公の
威名ぞ殘りて 香も淨し
これこそ我等が 日頃の龜鑑
いざゝゝ示さん 武勇の誇り
【三】斜陽は射ること 克を照し
赤き光は 野に滿ちあふれ
天に聳ゆる 錦の峯に
覇業をかざらん 時こそ今と
駿馬に打乗り 火の鞭あてゝ
砂塵をけちらす 雄々しの姿
【四】荒川の流れ 荒海に落ち
鮫ケ城下の の岡に
正義をしたひて 雄々しく立ちし
義憤の健兒の 意氣をば見よや
義勇の鐘の音 響て行けば
甘夢破らん 所やあらん
高田商工学校応援部
◆第一応援歌について◆
第一応援歌の作詞・作曲に関する明確な記録が残されていない。昭和
4年の校歌作成以前には存在し、体育祭や対外試合等で盛んに歌われていたようである。
校歌作詞者の小川保氏(本校国語教師)が創立
40周年記念誌によせた寄稿文「校歌の思い出」に参考となる記述がある。
【昭和
3年の秋、私が赴任した頃は、まだ校歌が制定されては居なかった。たゞ、「今宵にこぼれてまたたく星は」という女学生向きな歌詞の応援歌が、
北大の寮歌として知られている「豊かにみのれる石狩の野に」の曲を借用して、盛んに歌われていたようである。】
このことから、北海道大学恵迪寮々歌[都ぞ弥生](明治
45年)の曲に文学好きの生徒が詩をつけて第一応援歌が作成されたと思われる。
なお、第一応援歌作成当時の教職員の中に北大関係者がいて、寮歌「都ぞ弥生」の旋律借用についての仲介がなされた旨の伝承がある。
第二応援歌
作 詞:涌 井 俊 一
作 曲:丸 田 昭 三
>クリック:第二応援歌(独唱・伴奏)
【一】荒波さかまく 日本海
轟く怒涛 低くみて
越の平野に 秀麗を
誇りて立てる 妙高山
その気高さを 仰ぎみて
日頃鍛えし この腕を
今ぞこゝに あらわさん
【二】昔を偲ぶ 城跡に
春らんまんの 桜花
その花吹雪 背に負いて
燃え立つ覇気の 若人の
闘志は燃えて こぞり立つ
鍛えあげたる 鉄の腕
今ぞこゝに あらわさん
応援合戦/体育祭
◆第二応援歌について◆
昭和
30(
1955)年、高商創立
40周年を迎えるに当たり、校歌・応援歌(第一)に続く第二応援歌を作成する機運が生じた。
第二応援歌作成にあたり、近隣他校の事例なども参考にしながら作詞・作曲について種々の検討がなされた。そしてまず応援歌々詞について、専門家に依頼するのではなく
全校生徒対象に公募の形で第二応援歌々詞の募集が行われた。
短い募集期間ではあったが生徒から複数の応募作品が寄せられ、その中から当時
3年生(D組/高田市本町
2)の涌井俊一君の作品が選ばれた。
また、曲については彼の担任が、自身の友人である丸田昭三氏(音楽家・音楽理論家/東京芸大出身)に作曲を依頼した。
格調高い詩にふさわしく、勇壮な曲調のうちにも歌いやすく流麗な旋律の曲が生まれた。
今日まで校歌・第一応援歌と共に、体育祭・対外試合等に歌い継がれている。